2022年北京オリンピックに出場するカーリング女子日本代表「ロコ・ソラーレ」に所属し、選手として12年ぶりのオリンピック出場を決めた石崎琴美選手!
ソルトレークシティ五輪、バンクーバー五輪と過去2回のオリンピック出場経験を持つ実績豊富な石崎琴美選手は、一度は競技の第一線を退くも、2020年9月よりロコ・ソラーレに加入し選手として再び世界の舞台を目指して戦ってきました。
そして、北京オリンピックで銀メダルを獲得し、最年長メダリストの記録も更新しました!
豊富な経験を生かし、リザーバーとしてチームの精神的支柱となって支えている石崎琴美選手はいったいどんなプロフィールをお持ちの方なのでしょうか。
というわけで今回は、石崎琴美選手の気になるプロフィールや学歴、経歴に迫ってみたいと思います!
カーリング石崎琴美選手のプロフィール
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最年長メダリスト誕生㊗️🎊
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☆本名:石崎 琴美(いしざき ことみ)
☆生年月日:1979年1月4日
☆年齢:43歳(2022年2月時点)
☆血液型:B型
☆出身地:北海道旭川市
☆身長:167cm
☆体重:58kg
石崎琴美選手は北京オリンピックで最年長メダリストの記録を見事更新しました!
カーリング石崎琴美選手の学歴まとめ
それでは、石崎琴美選手の学歴から振り返っていきたいと思います。
オリンピック選手として世界と戦う石崎琴美選手。
カーリングはいつから始め、どんな学生生活を過ごしてきたのでしょうか。
小学校から順に見ていきましょう。
学歴①:石崎琴美選手の小学校は?
出身小学校は北海道帯広市立帯広栄小学校です。
このころは草サッカーをプレーしていた父の影響もあり、サッカー教室に通いサッカーを習っていました。
当時は今ほど女子サッカーの環境も世間的認知度も高くありませんでしたが、もしかしたら
未来のなでしこジャパンの可能性も秘めていたのかもしれませんね。
その後、小学校4年生になるとバレーボールを始めました。
まだカーリングと出会う前にいろんなスポーツに興味をもって取り組んできていたことがうかがえます。
ちなみにスピードスケート清水宏保さんも同校出身だそうです。
酷使した肉体が限界だった!五輪連覇に臨んだ清水宏保は0・03秒差で金メダルに届かず(東スポWeb)
【冬季五輪の主役たち(連載4)】5個の金メダルを含む合計10個のメダルを獲得した1998年長野五輪から4年。メダルラッシュ… #マンC #mcfchttps://t.co/T1uCV7vBVw pic.twitter.com/RcoEkEjRYW
— ManchesterCity News (@f14s_manc) January 31, 2022
トップアスリートを2人も輩出している学校なんて、地域の誇りですね!
学歴②:石崎琴美選手の中学校は?
中学校は北海道帯広市立帯広第一中学校に通っていました。
石崎琴美選手は中学校時代はバレーボール部に所属し、全十勝春季中体連で優勝するなど輝かしい実績を残しています。
あまり知られていない一面かもしれませんね!
学歴③:石崎琴美選手の高校は?
高校は北海道帯広南商業高校に進学します。
高校時代でもバレーボール部に所属し活躍していたそうです。
実はこの時もまだカーリングを始めていないのです。
石崎琴美選手がカーリングと出会い、その才能を開花させるのは高校を卒業した後になります。
学歴④:石崎琴美選手の大学は?
石崎琴美選手は北海道帯広南商業高校を卒業後、大学には進学せず就職の道を選びます。
高校卒業後は帯広市にある、東光舗道株式会社に就職しました。
ここで石崎選手はカーリングと出会うことになります。
東光舗道株式会社の代表取締役を務める河西哲夫さんは帯広市にカーリングを広めたことで知られる方で、東光舗道株式会社にカーリングチームを作り、普及・強化に力を入れていたのです。
入社した会社にあったカーリングチームに入ったことで石崎琴美選手はのちのオリンピック選手へと躍進していくことになるのです。
カーリングをはじめたのはなんと19歳からでした。
まさに運命的な出会いといっても過言ではないでしょう。
アスリートが幼少期から競技に打ち込んできた、という話はよく見聞きしますが、19歳から始めた競技で才能を開花させたというのは稀なケースかもしれませんね!
カーリング石崎琴美選手の経歴まとめ
石崎琴美選手は高校卒業後に入社した会社でカーリングと出会い、その後日本を代表する選手へと大きく飛躍していきます。
18歳から歩み始めたカーリング人生、これまでどんな経歴や実績を残してきたのでしょうか。
当時の若い頃の写真も併せて、詳しく見ていきたいと思います。
経歴①:カーリングを始めて5年、ソルトレークシティ五輪出場!
石崎琴美選手は東光舗道株式会社から河西建設カーリングチームへと活動の場を移してプレーすることとなります。
河西建設カーリングチームは北海道北見市の強豪チームとして広く知られていました。
すると、2000年2月に日本カーリング選手権の優勝を経験します。
2000年ということは石崎琴美選手は21歳。
競技を始めて約3年で日本一となるのです。
そして、その2年後の2002年のソルトレークシティ五輪出場を果たします。
カーリングと出会って5年、日本代表としてオリンピックに出場して世界と戦うことを、果たして本人含めご家族、周囲の人たちは想像できたのでしょうか。
ソルトレークシティ五輪ではリザーブとして出場しました。
世界の壁は高く、結果は惜しくも8位タイ。
石崎琴美選手はリザーブでの出場であったため、実際にプレーすることはありませんでしたが、オリンピックの舞台で経験したことはその後の彼女の競技生活をより充実させたものであることは間違いないでしょう。
ソルトレークシティ五輪翌年の2003年にも、日本カーリング選手権を優勝するなど、当時の日本女子カーリング界を引っ張る存在だったことが分かります。
経歴②:苦節を経てチーム青森へ移籍、バンクーバー五輪出場
2007年石崎琴美選手は、前年の2006年に開催されたトリノ五輪にカーリング女子日本代表チームとして出場していたチーム青森へ移籍することになります。
チーム青森はトリノ五輪で7位という成績を残したことで一躍注目を浴びていました。
当時所属していた河西建設とチーム青森はライバル関係にありました。
チーム青森が覇権を制すると、河西建設は徐々に影を潜めチームも解散へと向かっていきます。
チーム解散後、石崎琴美選手はこれまでとは違う視点でカーリングと向き合う日々を求め、カナダへと渡ります。
カナダでは結果にとらわれないカーリングを楽しむ日々を過ごし、その経験がもう一度世界と戦うマインドを奮い立たせてくれました。
そんな中、チーム青森に所属していた選手が体調不良によりチームを離れることになり、白羽の矢が立ったのが石崎琴美選手でした。
国内外の大会で豊富な実績と優秀な成績を残してきた石崎琴美選手を当時日本トップレベルのチームは貴重な戦力として考えていたのでしょう。
石崎琴美さん、4回目のオリンピック出場おめでとうございます🎉
日本女子単独最多#ロコソラーレ #カーリング女子 #石崎琴美 pic.twitter.com/1UZCa3cAfF— 横浜の藩士ウィーバー (@fighters1819) December 17, 2021
2007年チーム青森に移籍後、2度目のオリンピックであるバンクーバー五輪に出場します。
バンクーバーでは正確なショットを武器に「リード」としてプレーし、日本代表チームを8位へと導きました。
ソルトレークシティ五輪ではリザーブとしての出場だったためプレーすることは出来なかった、トリノ五輪は出場を逃した、そんな悔しい経験を経てようやくたどり着いたオリンピックだったのでしょう。
経歴③:第一線を退きカーリングの普及活動へ、解説としても活躍
2013年、石崎琴美選手はチーム青森を脱退します。
バンクーバー五輪の後から、チーム青森は新勢力の台頭もあり徐々に国内でも結果が出なくなり、いよいよチームも解散する方向で決まっていきました。
2007年日本カーリング選手権で優勝を果たした際、予選リーグで「チーム常呂中学校」に敗れる波乱がありました。
結果的にチーム青森はこの大会を優勝していますが、「チーム常呂中学校」に所属していたのが今の「ロコ・ソラーレ」のメンバーである吉田知那美選手と吉田夕梨花選手、そして鈴木夕湖選手でした。
新勢力の台頭はまさに世代交代の知らせとなりましたが、石崎琴美選手がのちにロコ・ソラーレに選手として加わることになるとはなんとも不思議な話です。
少し話がそれましたが、脱退後は北海道札幌市にある松田整形外科記念病院の職員として勤務することになります。
松田整形外科記念病院に務めているときは「シューティングスター」というチームで札幌のリーグに参加するなど、トップレベルからは離れるものの競技とは携わっていました。
また、札幌カーリング協会の理事や日本カーリング協会指導普及委員に就任し、カーリングの普及活動にも精力的に取り組んでいました。
札幌で石崎琴美選手の指導を受けた選手たちが世界で活躍する日もそう遠くはなさそうですね。
さらに、日本選手権や世界選手権などでは解説を務めています。
石崎琴美さん😌(と佐々生アナ)#カーリング #wmdcc2018 pic.twitter.com/yQc85sn0NI
— テぺヘロン (@yat7_iw5_ys16) April 24, 2018
カーリングが注目されるようになりテレビでの放送も以前と比べると多くなりました。
石崎琴美選手のルールや戦術、試合展開についての丁寧で分かりやすい解説は、視聴者の中で話題になりました。
SNS上でもかなり反響があったようです。
解説という立場でもカーリングを広く普及させているようです。
日本 タイムアウト!!
2002年 ソルトレイクシティ(常呂シムソンズ)
2010年 バンクーバー (チーム青森)出場
石崎琴美さんの解説がわかりやすい pic.twitter.com/MR0N6lipig— orange A (@foo_lay_bow) February 17, 2018
経歴④:選手として12年ぶりに北京五輪出場!
2020年7月、石崎琴美選手はロコ・ソラーレに再び選手として加入しました。
もともと本橋麻里選手が、ロコ・ソラーレのリザーブ(フィフス)として帯同していましたがチームを離れることになり、石崎琴美選手の正式加入が決まったのです。
【ロコ・ソラーレ】吉田夕梨花と鈴木夕湖は「クレイ… (日刊スポーツ)
北京五輪最終予選に出場中のロコ・ソラーレ(右から)藤沢五月、吉田知那美、鈴木夕湖、吉田夕梨花、石崎琴美(c)WCF / Steve Seixeiro <カーリング:北京オリンピック(五輪)…https://t.co/Dvl13DaKZE#速報 #ニュース pic.twitter.com/qYZRyv9gYC
— NEWS JAPAN【公式】 (@NEWS_JAPAN_S) December 17, 2021
石崎琴美選手が加入したロコ・ソラーレは2021年9月、北海道稚内で開催された北京五輪代表選手権に臨みました。
相手は2021年日本選手権を制した北海道銀行。
5戦中3勝2敗、2連敗からの大逆転の3連勝という粘り強い戦いっぷりで代表決定戦を勝ち抜き、世界最終予選にコマを進めました。
その大逆転劇の後に、お互いを褒めあっている映像があります!
チームメンバーとの絆の深さがよくわかりますね!
最終予選では、6勝2敗でプレーオフに回り、平昌五輪の準決勝で苦杯を喫した韓国に競り勝ち、ついに北京五輪出場を勝ち取ったのです。
チーム最年長、リザーブとして縁の下の力持ちでチームを支える石崎琴美選手は北京五輪でもチームを勝利へと導いてくれました。
経歴⑤:北京オリンピックで銀メダル獲得
北京2022冬季大会の #カーリング 女子団体で銀メダルを獲得した日本チームが20日の競技終了後、記者会見に出席し、メダル獲得の心境を語りました。(写真:アフロスポーツ)
会見詳細はこちらhttps://t.co/oO9uhshSL8#TEAMJAPAN#がんばれニッポン#Beijing2022#オリンピック pic.twitter.com/CLHUdSyhmI
— TEAM JAPAN (@Japan_Olympic) February 20, 2022
1次リーグを5勝4敗で、一時は予選敗退かと思われ、悔し涙を流していたメンバーたちでしたが、同時刻に行われていた試合結果により、準決勝進出が決定すると、『今世紀最大のサプライズだ!』と嬉し涙にかわり、みんなで喜んでいた姿は印象的でしたね!
そして、準決勝ではスイスを見事破り、カーリング史上初となるオリンピックで決勝の舞台まで進みました!
決勝では、イギリスに及ばず、勝利を掴むことはできませんでしたが、日本カーリング史上初となる銀メダルを獲得するという快挙を達成しました!
そして、石崎琴美選手は最年長メダリストの記録を更新するという偉業も達成しました!
まとめ
いかがでしたか?
石崎琴美選手のプロフィールや学歴、経歴についてご紹介してきました。
選手として12年ぶり3回目のオリンピックに出場、チームを陰から支える石崎琴美選手の活躍にも注目です。
ちなみに、石崎琴美選手は日本選手団の中でも最年長となります。
メダル獲得となれば最年長メダリストとしての記録を樹立することになります。
ロコ・ソラーレの活躍をみなさんで応援しましょう!

最後までお読みいただき、ありがとうございました♪
ポジションの役割やカーリング用語を理解すると試合観戦がもっと楽しくなるはず!
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