田中碧選手の経歴まとめ!幼少期や高校時代から現在まで詳しく解説!

サッカー

サッカー日本代表の新たな中盤のキープレーヤーとして期待されている田中碧選手をご存じですか?

田中碧選手は川崎フロンターレでの活躍を経て、現在はドイツのフォルトゥナ・デュッセルドルフでプレーしています。

高いボールコントロールスキルと冷静で的確な状況判断によって、相手の厳しいプレッシャーをいとも簡単にかわしてしまうプレーが特徴的です。

ワールドカップ予選では初出場にもかかわらず貴重なゴールを決める活躍!

そんな田中碧選手はどんな経歴を歩んできたのか、幼少期や高校時代から現在に至るまで詳しく解説していきます。

田中碧選手の経歴まとめ

田中碧選手の幼少期から現在に至るまでの経歴についてまとめました。

早くからサッカーと出会い、川崎フロンターレの下部組織で育ち、念願のプロ昇格と日本代表選出、そして海外リーグへの移籍。

着実に日本のトップレベルへと上りつめている田中碧選手の経歴に迫ります。

経歴①:田中碧選手の幼少期

田中碧選手は幼稚園の頃からサッカーを始めます。

地元の鷺沼から横浜のバディスポーツ幼稚園まで通っていたそうで、その幼稚園はスポーツが盛んでサッカーや体操など様々な運動に触れて育ったようです。

その中でサッカーに楽しみを見つけ、公園では一人で壁に向かってボールを蹴って過ごす日もあったとか。

サッカーに夢中になった理由として、通っていた幼稚園の影響が大きかったのかもしれませんね!

経歴②:田中碧選手の小学校時代

田中碧選手は神奈川県川崎市立鷺沼小学校に通っていました。

小学校に進学すると地元のさぎぬまSCに入団してサッカーに打ち込みます。

地域の強豪チームだったこともあり、サッカーがうまい仲間に囲まれながらぐんぐんと上達していったのでしょう。

さぎぬまSCは三笘薫選手や板倉滉選手も輩出しているまさに地域の名門クラブとして有名です。

さらに、チームとは別に東京ヴェルディのサッカースクールにも週2回通っていました。

しかし、周囲のレベルの高さから東京ヴェルディのジュニアチーム入団に挑戦することはあきらめてしまったのだとか。

それでも小学校3年生に上がると同時にチームの監督の薦めで、川崎フロンターレの下部組織の入団セレクションに参加し合格を勝ち取ります。

川崎フロンターレU-10に入団後は、6年生の時に日本一となり世界大会で5位という成績も残しました。

経歴③:田中碧選手の中学校時代

田中碧選手は小学校を卒業すると川崎市立有馬中学校に進学します。

中学校時代には応援団の副団長や駅伝大会の助っ人も引き受けるなど、積極的な生徒だったようです。

中学校に進学後も川崎フロンターレU-15へ進みサッカーを続けます。

U-15では全国大会に出場することはなくあまり目立った成績を残すことが出来なかったようです。

田中碧選手も中学生時代を「サッカーがトーンダウンしていた」と語っています。

しかし、U-18への昇格が決まり中学生ながらU-18の練習に参加した時に、先輩方のレベルの高さに衝撃を受け、すぐに気持ちを切り替えて自主練習にも励むようになりました。

まずいと思ってすぐに行動に移せるところは、もしかしたら田中碧選手のサッカー人生においてこれまでもいろんな場面で生かされてきたのかもしれませんね!

経歴④:田中碧選手の高校時代

高校は神奈川県立新城高校に進学します。

偏差値も59と高く、県内でも中堅以上のランクの学校として知られています。

田中碧選手は一般受験で進学しているので、中学時代から勉強にもしっかり取り組んでいたことがうかがえますね!

サッカーでは、川崎フロンターレユースU-18へ昇格すると1年生ながらすぐにAチームのチームに帯同するようになります。

その後はすぐにスタメンに抜擢されたようで、1年生時からコーチたちからの評価も高かったことから当時の田中碧選手の将来への期待度が感じられます。

その活躍もありU-16日本代表に選出されます。

それまでは選抜に選ばれたり世代別日本代表経験もなかったことから、高校1年時ながらAチームでの実践経験を積んだことによって成長曲線が大きく変化したのではないでしょうか。

その後高校1年生ながらトップチームの練習にも参加することになります。

1年生から常に高いレベルでプレーをし続けたことで徐々にプロへの道を進んでいったのです。

3年生時にはユースのキャプテンに任命され、トップチームのキャンプにも帯同しました。

まさに最後の1年はとプロになるための最後の準備期間だったのでしょう。

経歴⑤:田中碧選手の川崎フロンターレ時代

2017年に田中碧選手は川崎U-18から念願のトップチーム昇格を果たします。

しかし、その年はケガを負ってしまったこともあり公式戦出場はないままシーズンを終えることになります。

ユースチームではチームの要として活躍していてもプロの世界ではすぐに戦力として加わることが出来ないというプロの厳しさを感じますね。

また、そこには川崎フロンターレというJ1トップクラブの選手層の厚さがあったのかもしれません。

翌年の2018年の9月、ついにJ1リーグ初出場。さらにその試合では後半アディショナルタイムにプロ初ゴールを記録する活躍を見せて大きな注目を集めました。

デビュー戦でゴールを決めてしまうなんてすごいですね!

結果的にプロ生活2年目は4試合の出場のみにとどまりましたが、初ゴールという記録を残し今後の大きな飛躍を予感させるシーズンとなりました。

そして、翌シーズンの2019年には東京五輪を目指すメンバーとして日本代表にも選出され、J1リーグでは24試合出場と3年目にして川崎の中心選手へと上りつめていったのです。

2020年にはさらに出場数を伸ばしJ1リーグ31試合に出場し5得点を決める活躍。

そんな活躍が世界から評価され2021年6月にドイツ2部リーグの強豪デュッセルドルフからオファーが届くことになります。

川崎フロンターレというJリーグの絶対的王者クラブで若くして2年間にわたりチームの中心として活躍することは、つまり世界で活躍するための準備が整ったといってもおかしくないのかもしれません。

田中碧選手は川崎フロンターレ在籍中にはJ1リーグ優勝天皇杯優勝ルヴァンカップ優勝とすべてのタイトルを手にしました。

常に日本のトップレベルで戦い続けてきたことが分かりますね。

経歴⑥:田中碧選手の海外移籍後

田中碧選手はドイツ2部リーグのデュッセルドルフに移籍を決断します。

移籍後は川崎フロンターレ時代の戦術との違いに苦しみなかなかチームに順応できない時期もありました。

それでも徐々に強度の高いサッカー、日本と異なる環境に慣れていき今ではチームの中心選手として活躍しています。

東京五輪のあと「世界との距離はすごく遠い」と痛感した田中碧選手は現在筋力トレーニングに励み体格の強化を図るなど世界基準に照準を当てています。

デュッセルドルフでは26試合に出場し(2022年4月25日時点)、4月には移籍後初ゴール、初アシストを決めいよいよチームには欠かせない存在へと認められてきたと言えるでしょう。

川崎フロンターレからは期限付き移籍であったが、デュッセルドルフは完全移籍での獲得を計画しているようで、それは世界のクラブからも将来性のある価値の高い選手として評価を受けているという証になります。

今後のドイツでの活躍、そしてさらにビッグクラブへの移籍に大きな期待がかかっています。

経歴⑦:田中碧選手の日本代表歴

田中碧選手の日本代表経歴を振り返ってみます。

日本代表初選出は高校1年生の時の世代別U-16日本代表でした。

その後は東京五輪世代として、U-22日本代表、U-23日本代表、U-24日本代表とケガで辞退したことはあったもののコンスタントに代表に選出されてきました。

東京五輪でもチームの要として6試合を戦い抜きました。

そして、東京五輪での活躍もあり2021年10月A代表としてワールドカップ予選の舞台に立ったのでした。

当時の日本代表はすでに2敗を喫し、危機的な状況に直面していました。

負けたらもう終わりといった緊張感ある中で迎えたオーストラリア戦に田中碧選手は先発メンバーに抜擢されます。

その試合で田中碧選手は貴重な先制ゴールをあげ、チームを勝利へと導きました。

その後のアジア最終予選にはすべて出場し、日本代表の本大会出場に大きく貢献しました。

日本代表がワールドカップ出場を手にすることが出来たその要因の一つに、東京五輪で感じたという世界との差を埋めるべく戦いの場を世界に移し、レベルアップしてA代表に加わった田中碧選手の存在があったといえるでしょう。

まとめ

いかがでしたか?

田中碧選手の経歴をまとめてきました。

田中碧選手は幼少期からサッカーに打ち込み、川崎フロンターレの下部組織で育ちプロへの昇格を果たしました。

現在の日本代表の中心選手として活躍する姿の裏側には、世界との戦いで感じた差を埋めるために、厳しい環境に身を置き常に向上心を持って努力していることが垣間見えます。

今後さらに欧州のビッグクラブへの移籍が噂される田中碧選手がこれからさらに華麗な経歴を積み上げていく姿に注目しましょう!

管理人ママ
管理人ママ

最後までお読みいただきありがとうございました♪

田中碧選手の年俸推移と移籍金やプレースタイルについてはこちら!

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