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上田綺世選手の名前の読み方や由来や意味は?幼少期からの経歴総まとめ!

上田綺世選手の名前の読み方や由来や意味は?幼少期からの経歴総まとめ!

日本代表の新たなストライカーとして大きな期待を集めているのが、鹿島アントラーズに所属する上田綺世選手です。 抜群の動き出しと正確なシュート技術を武器に、Jリーグでゴールを量産しています。 W杯メンバー入りも十分に期待される上田綺世選手ですが、これまでどのような経歴を歩んできたのでしょうか。 また、上田綺世という珍しい名前の読み方や由来についても調べてみました!

上田綺世選手の名前の読み方と由来や意味は?

上田綺世選手の名前は「うえだ あやせ」と読みます。 珍しい名前で初めて見る時には読み方が分からないなんて方も多いですよね。 「綺」という字は「綺麗」という言葉にも使われているように、「美しい」「きらびやか」といった意味を持っています。 上田綺世選手の名前の由来の真相は分かりませんでしたが、とても親しみやすく華やかな名前で素敵ですよね。 日本のストライカーとして世界に「綺世」という名をとどろかせる日もそう遠くはなさそうですね。
管理人
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上田綺世選手の経歴総まとめ

上田綺世選手の幼少期から鹿島アントラーズに入団し活躍するまでの経歴についてまとめてみました。 順風満帆なサッカー人生を過ごしてきたように思えますが、調べてみると中学時代に経験した悔しい思いを胸に強い気持ちをもって努力し続けてきたことが分かりました。 中学時代に経験した悔しい思いとは、大学サッカー部を途中退部してプロへ進んだ経緯とは、上田綺世選手の気になる経歴に迫っていきます。

経歴①:上田綺世選手の幼少期

上田綺世選手は幼少期より負けず嫌いだったそうです。 サッカーを始めたのは5歳。 父が社会人リーグでサッカーをしており、良く試合を観戦しに行っていたようです。 その試合で得点を決める父の姿にあこがれ、サッカーを始めました。 点取り屋として活躍する上田綺世選手の原点は父の活躍する姿にあったのです。

経歴②:上田綺世選手の小学校時代

上田綺世選手が通っていた小学校は、茨城県水戸市立吉田丘小学校です。 小学校では吉田丘サッカースポーツ少年団に入部してサッカーに明け暮れる日々を過ごします。 吉田丘サッカースポーツ少年団では父もコーチとして指導していて、上田綺世選手も指導を受けていました。 小学校5年生になるとmalveサッカースクール水戸校というサッカースクールにも通っていたそうです。 サッカーを始めてからは、父と一緒に海外サッカーをテレビで観戦するのが日課になるほどサッカーが好きだったようですね。

経歴③:上田綺世選手の中学校時代

中学校は水戸市立第四中学校に進学します。第四中学校は生徒数も多く、部活動も盛んな学校です。器械体操やレスリングといった珍しい部活動も活動していて、運動クラブがさかんな様子が想像できます。 上田綺世選手は部活動には入らずに、鹿島アントラーズの下部組織であるノルテジュニアユースという下部組織に入団してプレーを続けます。 鹿島アントラーズの中学生の下部組織は、鹿島ジュニアユース、ノルテジュニアユース、つくばジュニアユースの3拠点もあります。 高校のユースチームに昇格するためにはさらにそこから選考されるため、中学生年代からしのぎを削ってきたことがうかがえます。 しかし、高校進学時にユース昇格の目標は叶いませんでした。 その理由の一つとして、身長が関係していたそうです。 今でこそ182cmという恵まれた体格をしていますが、当時は170cmほど。 成長の時期は人それぞれなので進学のタイミングと上田綺世選手の成長曲線はマッチしなかったのでしょう

経歴④:上田綺世選手の高校時代

高校は茨城県のサッカーの強豪鹿島学園高校へ進学します。 鹿島学園高校は自前の人工芝グラウンドが2面、屋内練習場や学生寮といった設備が充実しており、全国から高校日本一、プロサッカー選手を目指して入学してきます。 まさに全国屈指の設備を整えたスポーツ強豪校です。 そんな鹿島学園に進学した上田綺世選手ですが、高校進学時に鹿島アントラーズユースに昇格できなかった悔しい思いをもって入学したのです。 入学当時は身長が170cm程度で体格的にさほど大きい選手ではなく、線も細かったといいます。 高校入学後もすぐにチームの主力選手として活躍できたわけではなく、2年生までは歯がゆい時期を過ごしてきたそうです。 しかし、トレーニングを重ね、徐々に体格が大きくなりフィジカル面に安定感が出てくると試合にも出場できるようになりました。 高校3年生時にはインターハイ出場、全国高校サッカー選手権大会出場と茨城県内を制し、全国の舞台も経験しました。 毎日の練習終わには居残りでシュート練習を50分間も行っていたそうです。 まさに、今の圧倒的な決定力やシュート技術の高さの原点はそこにあるのかもしれませんね。

経歴⑤:上田綺世選手の大学時代

大学は法政大学のスポーツ健康学部に進学します。法政大学はスポーツ全般に力を入れており、サッカー部には全国から選ばれた選手のみが入部でき、ひと学年あたり10名弱程度と非常に狭き門となっています。 高校時代の活躍が評価され、法政大学に進学した上田綺世選手ですが、当時は全国のJリーグユースチームから集まる選手たちの中に混ざることに肩身の狭さを感じていたようです。 確かに鹿島学園では全国大会には出場したとはいえ、優勝や準優勝をしたというような派手な成績は残していません。世代別日本代表の経験もなく周囲と比べたら少し見劣りするような思いを持っていたのかもしれません。 それでも、法政大学ではメキメキとそのポテンシャルを開花させ、大学1年生からトップチームの試合に関わり始めます。 1年生ながら出場した夏の全国大会ではチームは全国優勝を果たします。 そして2018年大学2年生の時には大学サッカーでの活躍が認められ、U-21日本代表に選出されトゥーロン国際大会に出場し世界の舞台を経験しました。 この世代別日本代表経験から、上田綺世選手はすでに同世代の選手たちがプロの世界で戦っているのを肌で感じ、その後大きな決断をすることになります。 法政大学が出場する関東大学サッカーリーグでも11得点(22試合中)を挙げる驚異的な活躍を見せチームをリーグ3位へと導きます。 そして出場した全日本大学サッカー選手権大会では見事全国優勝を果たしました。 大学サッカー界を大きく盛り上げ、その名を全国に広く知らしめた上田綺世選手は大学2年生ながらJ1リーグの名門鹿島アントラーズの入団が内定します。 さらに、それは大学卒業後に進む道ではなく、大学を中退してプロの道を選択するというものでした。 日本代表で感じた世界レベル、すぐにでもプロの世界に進んでその差を埋める、そんな覚悟を感じる決断です。 しかし、迷いもあったようで高校時代の恩師や大学サッカー部の監督とも話し合いを進め、2019年2月~7月までの残りの半年間は大学サッカー部に残り、特別強化指定選手として鹿島アントラーズの活動に参加するという形を決めました。 大学サッカー部に残していきたいものもあったと話す上田綺世選手は、その半年間で多くのことを仲間やクラブに伝え、還元していったのでしょう。 ちなみサッカー部は退部したものの大学はそのあとに卒業しています。

経歴⑥:上田綺世選手の鹿島入団後                 

2019年7月、正式に鹿島アントラーズの一員として入団します。 入団するとすぐにJリーグ初得点を決める活躍を見せるなど、新たなルーキーの登場に日本サッカー界も盛り上がりを見せました。 1年目はケガもあったことで13試合2ゴールという結果でした。 2年目は26試合10ゴール、3年目は29試合14ゴールと早くも名門鹿島のストライカーとしての地位を確立し、2年連続2桁ゴールという素晴らしい結果を残しています。 背番号は入団当初つけていた36番から18番に変更。 これは憧れでもある父が社会人サッカーに出場しているときにずっとつけていた番号で、幼少期からその姿を見て18番が好きになったからだそうです。

経歴⑦:上田綺世選手の海外移籍~ベルギー サークル・ブルッヘ~

2022年7月にベルギー1部・ジュピラーリーグのサークル・ブルッヘに完全移籍(背番号36)しました。 在籍は1年のみでしたが、リーグ戦22得点で得点ランキング2位と大活躍でした! チームも8位となり、1部に昇格した2018年以降で最も良い順位となりました。 得意の裏への抜け出しからもゴールを量産!PKキッカーを任されるなどチーム内でも信頼を得ていました! ぜひ大活躍だったリーグ戦での全22ゴールをご覧ください!

経歴⑧:上田綺世選手の海外移籍~オランダ フェイエノールト~

2022年7月に移籍したサークル・ブルッヘを経て、2023年7月にオランダ1部・エールディヴィジのフェイエノールトに完全移籍(背番号9)しました。 ベルギーでの活躍もあり、わずか1年で移籍金は10倍と言われています! そして、背番号は9番! フェイエノールトから期待されていることが感じられますね。 出場機会はまだ多くないものの、第4節のユトレヒト戦では移籍後初ゴールを決めています! きれいなターンからの左足でのゴールでした! 第12節では、同じオランダリーグのAZに所属する菅原由勢選手との日本人対決も実現しました。 上田綺世選手は66分から途中出場、菅原由勢選手はフル出場しています! このフェイエノールトの勝利で今季無敗だったAZは初黒星! 昨シーズンリーグ優勝したフェイエノールトは、PSVに次ぐ2位につけています。

経歴⑨:上田綺世選手の日本代表歴

上田綺世選手が初めて日本代表に選ばれたのは2017年U-20日本代表でした。 これまで代表とは無縁でしたが、法政大学という高いレベルの中で短期間で多くのことを吸収しレベルアップしたのでしょう。 その後は東京五輪を目指す世代別日本代表に選出され続けていきます。 そして2019年には大学生ながら、A代表に選ばれ東アジア選手権やコパ・アメリカといった大会に出場します。
 
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さらに2022年にはワールドカップアジア最終予選のメンバーにも選ばれ、最終節であるベトナム戦ではフル出場を果たしました。 2023年は徐々に日本代表でも出場機会を増やしており、これまで5得点をあげています。 6月15日のエルサルバドル戦で1得点、歴史的勝利をおさめた9月9月のドイツ戦でも1得点! そして、何と言っても11月16日に行われたワールドカップ2次予選のミャンマー戦では見事ハットトリック! 上田綺世選手の3得点はどれも素晴らしいゴールでしたね! ライバルの多い日本代表でもエースとして活躍してくれるか楽しみです!

まとめ

いかがでしたか? 上田綺世選手の名前の読み方や由来、気になる幼少期からの経歴についてまとめてみました。 身長が低かったことで鹿島アントラーズユースへの昇格が見送られた悔しい思いを胸に、進んだ進路先で努力を続けてきた上田綺世選手。 日本代表級に大きく成長し、鹿島アントラーズに戻ってきました。 鹿島アントラーズ不動の絶対的エースの活躍と今後の海外移籍についても注目していきましょう!
管理人ママ
管理人ママ
最後まで読んでいただきありがとうございました。