サッカーW杯アジア最終予選のオーストラリア戦で途中出場ながら2得点をあげ、日本を本選出場へ導いた三笘薫選手。
ワールドカップでも、守備に攻撃に大活躍で日本を決勝リーグへと導き、さらにブライトンでの連日の大活躍で、今や世界中から注目を浴びていますね!
圧倒的なスピードと、相手の逆を突く巧みなそのドリブルスキルに、テレビを見ていてワクワクさせてもらっている人も多いのではないでしょうか。
そんな三笘薫選手ですが、幼少期の画像がとってもかわいいと話題になっています!
三笘薫選手は今までどのような経歴を歩んできたのでしょうか?
幼少期からプロデビュー、そして日本代表までの経歴についてかわいい画像とともにエピソードをまとめてみました!
どうぞ最後までご覧ください!
三笘薫選手の経歴まとめ(かわいい画像とエピソードとともに紹介)
三笘薫選手の貴重な幼少期の写真やエピソードから、日本代表選出までの経歴を順番にまとめてみました。
24歳にして海外リーグへの挑戦、そして日本代表選出といった道を歩んでいる背景には、常に向上心を持ち続け努力を重ねた日々があったようです。
高校卒業後にプロへの道を断り大学に進学した理由も明らかになりました。
経歴①:三笘薫選手のかわいいと話題の幼少期のエピソード
三笘薫選手は神奈川県川崎市で生まれ育ちました。
幼少期の写真がテレビで放送されたことで、「かわいい」と話題となっています。
そういや金曜深夜にやってた #サッカーアース で流れた幼少期の 三笘くん。
幼稚園は きりん組 🦒だそうです(可愛い) pic.twitter.com/eZwiW8joA1— いるかのしっぽ (@bluefronta) May 16, 2021
一緒に写真に写るのはサッカー女子日本代表なでしこジャパンに選ばれている三浦成美選手(日テレベレーザ)
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同じ幼稚園に通う二人は小さいころから家族ぐるみでの交流があったそうで、よく一緒に遊んでいたとのことです。
当時は同じサッカースクールにも一緒に通っていました。幼少期の2人はかわいいですね!
幼馴染である二人が日本の男女のサッカー日本代表として活躍しているなんて素晴らしいですね!
とある対談では幼馴染である三浦成美選手についてこんなことも話していました。
僕もライバルと思ったことはなくて、どちらかというと同志。大学のときから成美は代表に入っていたし、ワールドカップ(W杯)に出ているので、こっちのほうが刺激、受けまくりです。「俺も早く代表に入りたいな」とか思っていました。
引用:日刊スポーツ
20年来の仲である二人、幼少期から一緒にサッカーを楽しみながら、そして高め合いながら、成長してきたことがわかります。
経歴②:三笘薫選手の小学校時代のエピソード
三笘薫選手は川崎市立鷺沼小学校に入学します。
サッカーを本格的に始めたのは小学校2年生の時。
初めは、田中碧選手と同じさぎぬまSCに所属してサッカーをしていましたが、親の勧めで3年生になるときに川崎フロンターレU-12の入団セレクションを受け、見事合格し入団することになります。
毎年多くの選手がチャレンジする入団セレクションに合格するのは狭き門であり、三笘薫選手が当時から将来性を見込まれた高いスキルを備えていたことが想像できます。
そしてこの4人、フロンターレU-12が、小学生年代の世界大会ダノンカップに4年連続日本代表で出場してた2008-2011のメンバーでもあるんだよね(1枚目2008、前列10番三好、14番三笘、後列7番板倉。2枚目2009、前列18番三笘。3枚目2010、後列左から4番目が田中)。小学生の時から世界を見せておくもんだわ pic.twitter.com/BmjwInjbXW
— akoustam (@akoustam) June 22, 2021
川崎フロンターレU-12では5年生、6年生の時に全日本少年サッカー大会に2度出場を果たし、ベスト8、ベスト4という結果を残しています。
これがその時の貴重な映像です!
幼いころのかわいい三苫薫選手と田中碧選手が中央に写っていますね!
三笘薫選手は6年生の時にはチームのキャプテンとして活躍していました。
川崎フロンターレU-12ではボールを「止めて蹴る」という基礎的な部分や、ボールの置き所を意識して「ボールを運ぶ」というスキルを相当追及して練習したようです。
今の三笘薫選手の圧倒的なスキルの原点はここにあるかもしれませんね。
この10年後には同じチームで同じピッチに立ってプレーすることになるなんて、当時はこのかわいい2人を前にして、誰も想像してしていなかったでしょうね。
田中碧選手と三笘選手、小学校からの幼馴染で小中時代から同じサッカークラブにいて共に川崎フロンターレからのW杯日本代表で逆転ゴール決めてって漫画よりも漫画すぎる😭😭😭😭早起きしてよかった😭😭!!加えてイケメン&碧と薫って名前も良い…大野くんと杉山くんみたい素敵😭✨#田中碧 #三笘薫 pic.twitter.com/fCI5zb0uda
— もくめ@都内ゆるキャリOL (@mokuyoku99) December 2, 2022
そして、運命をかけたワールドカップスペイン戦で、三笘薫選手は小学校時代からの幼馴染の田中碧選手へ、ミリ単位でラインにかかっていたという奇跡のようなアシストからの逆転ゴール!
このかわいい小学校時代の三笘薫選手と田中碧選手が、同じさぎぬまSCというサッカークラブで切磋琢磨し、川崎フロンターレでともに活躍し、時を経てワールドカップという大舞台で、奇跡のようなアシストから日本を決勝リーグに導くような奇跡のゴールを生み出すなんて、誰も想像していなかったですよね!
これは映画化して欲しいという声が多いほど、日本中が感動しましたね!
経歴③:三笘薫選手の中学校時代のエピソード
川崎市立有馬中学校に進学します。
サッカーは部活動ではなく、川崎フロンターレU-15に進みプレーを続けます。
三笘、田中碧、高は、川崎U-15で一緒にプレーしてるはず。 pic.twitter.com/ilYlK2NnW2
— とめ (@recycle_tom) June 4, 2019
2012年3年生として出場した日本クラブユースサッカー選手権(U-15)では全国ベスト8という成績を残しています。
準々決勝で敗れたガンバ大阪ジュニアユースの監督の言葉を見つけました!
「当時のガンバはタレント軍団で、クラブユース選手権で優勝したのですが、試合後に相手の監督さんが『ここまで崩されたのは、フロンターレさんが初めてですよ』と言って、薫を絶賛していたことを覚えています。『止められなかったです』って」
チームは敗れはしたものの、三笘薫選手は相手監督も驚くほどの活躍を見せていたことから、すでに日本トップクラスのドリブルを身に付けていたことが分かります。
経歴④:三笘薫選手の高校時代のエピソード
高校は川崎市立橘高等学校に進学します。
川崎フロンターレU-15からもU-18への昇格を果たし、引き続き下部組織でのプレーを続けます。
橘高等学校から川崎フロンターレU-18が練習場所としていた、富士通スタジアムや等々力第一サッカー場まで距離が近いことも、もしかしたら進学先に選んだ理由かもしれませんね。
非常に足元に秀でた選手。
初観戦で衝撃を受けたあのドリブル。
複数のマークが来てもスルスル抜けて行く柔らかいボールタッチ。技術・センス・独創性まあ凄い(笑)
4年後、等々力で待ってます!
(三笘 薫 川崎U-18→筑波大) pic.twitter.com/YY8uGQLdVV— よっち (@blue_10king) August 25, 2016
高校年代になると三笘薫選手の名はすでに全国へと広まっていきました。
その代名詞はやはりドリブルです!
さらに当時の川崎フロンターレU-18には東京オリンピックを一緒に戦った三好康児選手、板倉滉選手、田中碧選手も 在籍していました。
三笘薫選手が高校2年生の時に、三好選手と板倉選手が3年生、田中選手が1年生でした。
今考えると超タレント集団の中でその技術はどんどん磨かれていったのかもしれませんね。
高校3年生時には10番としてチームを引っ張るものの、全国大会では思うような結果を残せなかったようです。
川崎フロンターレのホームページにの選手紹介欄にも、サッカー人生で一番悔しかった試合は、高3のJユース選手権のセレッソ大阪戦と答えています。
最後の大会で悔いが残る内容と結果だったのでしょう。
高校卒業後は川崎フロンターレのトップチームへの昇格が期待されていました。
実際にトップチームからも昇格の打診があったようですが、三笘薫選手はプロの道を断り筑波大学への進学を決断します。
その時の決断の理由を三笘薫選手はこのように話しています。
「はっきり言って、当時はプロでやっていく自信がありませんでした。1学年上の三好(康児)選手や板倉(滉)選手の姿を見て、客観的に考えたときに、トップでやれる自信が決定的に足りなかった。その現状から、将来を考えると筑波大に行った方が良いと思ったんです。
引用:NumberWeb
将来を見据えた長期的な視点で大学4年間さらに鍛えなおすという決断をした三笘薫選手の客観的に自分を見る力や、その決断力の高さに驚きですね。
経歴⑤:三笘薫選手の大学時代のエピソード
プロへの4年間として位置付け進学した筑波大学では1年生から出場機会を得ると、関東大学サッカーリーグでは2位、全日本大学サッカー選手権大会では優勝と素晴らしい成績を残しました。
2年生ではユニバーシアード日本代表にも選出され出場した世界大会では優勝!
関東大学サッカーリーグでは優勝&ベストイレブンを獲得しました。
11/19関東大学サッカーリーグ戦最終節
筑波大学 3-2 順天堂大学筑波大学MF9三笘薫(2年/川崎U-18)
いつもが10だとしたら昨日の三笘は5ぐらいだったと思うけどそれでも大いに観客を驚かせて西が丘を沸かせた pic.twitter.com/hhClKTAxx8
— あきこ (@akiko_0710) November 20, 2017
プロチームも出場する天皇杯ではべガルダ仙台を相手に60mを一人ドリブルで独走してゴールを決める衝撃の活躍を見せました。
勉学にも熱心に取り組み、競技に生きる運動生理学や栄養学の勉強に励んでいたようです。
周囲の仲間がプロで活躍する中でも、大学4年間で自分がやるべきことを考えながら努力を積み重ねてきたことがうかがえます。
その後、東京オリンピックを戦う日本代表候補にも大学生ながらに選出され、着々とプロ入りへと歩んでいったのでした。
経歴⑥:三笘薫選手の川崎フロンターレ時代のエピソード
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筑波大学を卒業すると、2020年より古巣である川崎フロンターレへの入団が決定します。
2月22日のサガン鳥栖戦でJ1プロデビューを果たします。
7月26日の湘南ベルマーレ戦でプロ初ゴールを記録。
入団1年目にして川崎フロンターレのJ1リーグ優勝、天皇杯優勝の2冠に大きく貢献し、シーズンベストイレブンにも選出されました。
新人選手とは思えないような活躍ぶりに、海外移籍も秒読みか、という噂も飛び交うようにもなっていきました。
そして、2021年東京オリンピック終了後の8月10日にイングランド・プレミアリーグに所属するブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCに完全移籍することになります。
J1リーグでは通算50試合21得点という素晴らしい結果を残しました。
Jリーグでのさらなる活躍に期待するファンも多くいましたが、三笘薫選手のドリブルが世界でどのくらい通用するのか、世界を驚かせる日が近いことはサッカーファンの間ではすでに分かりきっていたことだったのかもしれません。
経歴⑦:三笘薫選手の海外移籍後のエピソード
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2021年8月10日ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCへ完全移籍を果たします。
Jリーグから海外に移籍する選手の移籍金額としては過去最高の3億9000万円ほどだったと言われています。
それだけ世界のクラブが熱望するに値する選手だということが分かります。
しかし、残念ながら日本代表(A代表)経験がないことで、イギリスの労働許可証が下りないことからベルギーリーグのロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズへ期限付き移籍をすることになります。
ベルギーは現在FIFA世界ランク1位のサッカー大国で、多くの日本人選手がベルギーリーグへ挑戦しています。
【途中出場の三笘が圧巻のハットトリック】
10人のチームを逆転勝利に導く
三笘薫の所属するユニオン・サン=ジロワーズは16日、ジュピラー・プロ・リーグ第11節でセランと対戦し4-2で勝利。
三笘は後半開始からプレーし、57分、77分、90分にゴールを挙げハットトリックを達成した。 pic.twitter.com/1nLCMnq3u4— 【公式】LSMPROJECT (@katsu5545) October 17, 2021
2021年9月にデビューを果たすと、すぐにチームの中心選手としての位置を確立します。
10月にはハットトリックを達成し、チームを逆転勝利に導く活躍を見せ、早くもチームメイト、監督、そしてファンの信頼を勝ち取りました。
2022シーズンからはブライトンへ完全移籍をし、序盤こそ途中出場が多かったものの、第14節から初スタメンで、初アシストも記録しました。
その後は連日スタメン出場を果たし、三笘薫選手の大活躍で、チームを勝利に導いていますね!
今やブライトンになくてはならない選手にまで存在感を高めています!
プレミアリーグでの実績を積み重ねていくことで今後さらにビッククラブへの移籍も十分に考えられますね!
これからの三笘薫選手の活躍がますます楽しみになってきましたね!
経歴⑧:三笘薫選手の日本代表歴
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三笘薫選手の日本代表の経歴は大学時代までさかのぼります。
・ユニバーシアード日本代表(2017,2019)
・U-20日本代表(M-150カップ)
・U-21日本代表(トゥーロン国際大会など)
・U-22日本代表(トゥーロン国際大会など)
・U-24日本代表(東京オリンピック2021)
・日本代表(FIFAワールドカップ・アジア3次予選)
・日本代表(カタールワールドカップ日本代表メンバー)
筑波大学在学中から大学生だけで編成されるユニバーシアード日本代表に選出されると、その後はU-20から継続して世代別代表に選出され続けています。
特筆すべきは、大学生として選ばれているという点です。
U-20やU-21日本代表はすでにプロで活躍する選手たちが多い中で、大学生ながら選ばれているのです。
2021年東京オリンピックでは3位決定戦の対メキシコ戦で起死回生の1ゴールを決めたことも記憶に新しいですね。
そして、先日行われたワールドカップ・アジア3次予選対オーストラリア戦で2ゴールを挙げる大活躍を見せてくれました。
A代表3試合目にして日本の予選突破がかかる大一番で大仕事をやってのけたのです。
守田「絶対にボールが入ってくるなというのが分かったのと、最後に薫が入ってくるところまで想像できた。絵が共有できた。」
山根「守田が絶対に前に入ってくる確信があった。薫は絶対にあそこにいると思っていた。」
三笘「川崎時代からあそこに来ると分かっていた。素晴らしいボールが来た」 pic.twitter.com/wHgLP9XyAT
— ボランチ@ウイイレアプリ攻略サイト (@volante_info) March 24, 2022
小さいころから三笘薫選手に携わってきた指導者や仲間からしたら、きっとこれくらいの活躍をしてくれるだろうと見越していたかもしれません。
この試合で始めて三笘薫選手を知った方もいるかと思いますが、きっとこれからは忘れることがないくらい今以上の活躍を見せてくれるはずです。
【決定的瞬間】「ボールin、ドイツout」英タイムズ紙、三笘の”証拠画像”を大きく掲載https://t.co/Z5fz72X8CL
三笘がボールに触れた瞬間の画像を紙面いっぱいに掲載。「ボールはイン、ドイツはアウト 日本はボールを残し、スペイン相手に勝者となった。ドイツをW杯から追いやったのである」とした。 pic.twitter.com/mlgKCnEtq8
— ライブドアニュース (@livedoornews) December 2, 2022
そして、カタールワールドカップ本線では、三笘薫選手の活躍は誰の目にも明らかでしたね!
世界中が三笘薫選手のプレーにワクワクさせてもらいました!
Definitive 🇯🇵pic.twitter.com/O0a1DskV98
— FIFA World Cup (@FIFAWorldCup) December 2, 2022
特に、このシーンは、三笘薫選手の代名詞「三笘の1mm」として、今後も長く語り継がれるであろうシーンですね!
この1.88mmが日本代表を決勝リーグへと導いてくれた奇跡のゴールに繋がりました!
Group E we will never forget you. ❤️#FIFAWorldCup | #Qatar2022
— FIFA World Cup (@FIFAWorldCup) December 1, 2022
死の組と言われたEグループを日本が首位通過するなんて、誰も想像できませんでしたね!
その躍進の立役者は、三笘薫選手だったと思った方も多いのではないでしょうか!
三笘薫選手のこれからの日本代表としての活躍も楽しみですね!
まとめ
いかがでしたか?
三笘薫選手のかわいい幼少期からプロデビュー、海外移籍、そして日本代表までの経歴を当時のエピソードとともに解説してきました。
一見シンデレラボーイのように取り上げられがちですが、類い稀な才能を持ちながら、高卒でプロになることを断り、大学進学という道を選んだ葛藤や積み重ねてきた努力の日々がありました。
幼少期から始めたサッカーは、田中碧選手ら幼馴染と刺激し合い、高め合ってきた意外な関係もわかりました。
三笘薫選手の経歴はこれからさらに、充実した素晴らしいものが書き加えられていくことでしょう!
三笘薫選手のこれからの活躍を応援していきましょう!
最後までお読みいただきありがとうございました♪
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